連載:1年半のスペイン生活(学校初日)

到着した日の翌日から学校が始まった。Hispañiaというスペイン語学校である。ここに決めた最大の理由は、スペインにある語学学校をネットで探した時、最も安かったからである。2番目の理由は、日本人スタッフがいるという点であった。来る前にその方とはメールでかなり頻繁に迷惑な程連絡を取り合っていた。

その日は月曜日であったため、入学(?)する人で受付はごった返していた。自分の番が来て、イタリア人スタッフが担当してくれた。挨拶はスペイン語でしたが、すぐに英語を使って今日から始めるということを伝えた。そしたら、その日からの人たちに学校内を回りながら説明をしてくれた。

それが終わり、指定されたクラスに行くと、初級にも満たないクラスに入れられた。

連載:1年半のスペイン生活(初日4)

お昼ごはんを食べ終わり、アパートに向かった。第一関門の玄関の扉は難無く開き、エレベーターで指示された部屋(101号室)がある10階まで上がった。

エレベーターを降りると左右に部屋があり、101号室なので左のドアを開けようと試みた。鍵はすんなり入り、回すこともできた。しかし、どれだけやっても、扉が開かない。もしかしたら、誰かいるかもしれないと思い、ドアをノックしたり、チャイムを鳴らしたりしたが、誰も出てこない。途方に暮れ、疲れ果てたので、玄関横の階段に腰を下ろして少し休憩し、再度挑戦したが開かない。

もしかしたら、部屋を間違えたのかもしれないと思い、とりあえず向かいの部屋のドアに鍵を挿そうとしたが入れることすらできなかった。

さらに、階も間違えたのではと思い、1階ずつ下がり、鍵を挿して試して行った。そうしていると、偶然、部屋の中から誰か声をかけて来た家があった。ただ一つ、いつか助けを求める日のために覚えた文章をいきなりここで使った。¿PodrÌas ayudarme?勇気を振り絞って出てきたのは本当に親切な人だった。実際、この時、こっちもだが、向こうも命の危険を感じていただろう。

それでも親切にも全く会話が成り立たない相手に真摯に対応し、事態を把握してくれ、一緒に10階の最初の部屋に戻った。そして、なんと、一発でいとも簡単に鍵を開けてしまった!!

どうやったのか全くわからなかったが、とりあえずお礼を言い、別れ、部屋に入った。入ると、ダイニングやキッチンは共用で、4つ程の部屋があるシェアハウスだとわかった。

自分の部屋は奥から2番目で、その部屋には簡単に入ることができた。

荷物もとりあえず片付け、学校への道程を確認しようと、部屋から出ると、スペイン生活を開始して初めて会う人に出会った。

「日本人ですか?」

「はい。」

 

連載:1年半のスペイン生活(初日3)

鍵を持っていないと、玄関すら通れないため、指示された鍵をもらう場所に向かった。約20kgのスーツケース、パンパンに中の入ったリュック、ショルダーバッグとパソコンカバンをクロスがけして、歩くと5分ぐらいで汗ばんできた。

1月の初めだが、道端にある温度計を見ると気温は15℃ぐらいあり、冬用コートを着て、空腹と眠気を感じる者にとって、見知らぬ土地で10分歩くのは過酷だった。

やっと目的地に着くと、そこはカフェで、入ると何やら店員がこちらに向かって言葉を発した。Para llevarと行ったのだが、当時のスペイン語力ではそれも全くわからず、とりあえず、語学学校の居住許可証を出した。

すると、鍵の入った封筒を渡された。

空腹を満たすために、ショーケースに入ったボカディージョからチョリソーの入ったのを選びやっとゆっくりした時間を持てた。

連載:1年半のスペイン生活(初日2)

語学学校から届いた書類には、まず、鍵を受け取るように書いてあった。地図には学校の近くの場所に印が付けられていた。しかし、荷物が多く、まずは、宿泊場所で預かってもらおうと、住む場所の最寄り駅を目指した。

駅に着いた。プラットフォームの両端に改札があるようだったが、どっちがより近いかわからず、適当に片方に行った。エスカレーターを上がり、改札を出て、駅員に地図を見せた。喋っていることはわからないので、とりあえず、指を指したほうの出口に行った。エレベーターはもとより、エスカレーターもなく、約20kgのスーツケースを持ち、階段を休み休み上がった。

地上に出ると、どっちに1歩目を踏み出せば良いかわからず、通りすがりの2人組に声をかけた。運良く、1人は英語を解したので、1歩目は、どっちに行けば良いかわかった。

こっちかこっちかと不安になりながら、地図を見比べながら曲がる場所、方向を確認し、なんとか第一の目的地に着いた。しかし、それはただのアパートだった。そのため、全く中に入れず、いわんや、荷物を預かってもらえる場所などなかった。

連載:1年半のスペイン生活(初日1)

1月6日、真冬の日本を発ち、現地時間お昼すぎ、バレンシアに到着。

空港から市街地には地下鉄で行けるのは知っていた。だが、改札がわからない。それどころか、スペイン語は全くわからないため、3分で行けるところを30分迷って改札階に着いた。しかし、券売機の操作が分からない、そして、カウンターでは、スペイン語が分からないため、路線図を指差し、金額もわからないので、すべてのお金を出し、とってもらった。

改札を通る時には、通れば自動的に開くようにしていてくれたらしく、"pasa pasa(通って、通って)"と言われていたのに、理解できず、これからの前途多難を象徴する出来事となった。

もちろん、プラットフォームに行っても、ターミナルなので、来たのに乗れば着くにも関わらず、それを知らなかったために、2本程見送って、やっと地下鉄に乗った。

Housing for Degrowth

 本日、バルセロナの北部にあるコテージCan Masdeuにおいて、François Schneider, Claudio Cattaneo and Anitra Nelson等が共同で執筆した著者Housing for Degrowthの説明会がありました。

 代表の著者は、オーストラリア出身のAnitra Nelson女史で、大半の章が女性によって書かれたことが、特徴として挙げられます。

 説明会で行われた書籍の内容について、お伝えします。簡単に言うと、エネルギー消費全体の3分の1は、家庭由来のものであるため、住居を環境に配慮したものにすれば、環境問題解決にかなり貢献できるということでした。

 さらに、住宅への投機により、家賃などが高騰し、家を手放す人が数多くいます。スペインには、空き家となっている住宅がある一方、ホームレスが存在しているため、家を持っていない人たちが団結して、その空き家に共同で住むというプロジェクトが、様々なところで行われています。

 共同で住むというと、シェアハウスが思い浮かびますが、それらのプロジェクトでは、更に進んで、手に入れたアパートを1つの町のように、ただ住むだけでなく、生活をする場所として捉えています。

 
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日本では、馴染みのない住宅を占拠するという運動ですが、資本主義の論理が拡大し、銀行の力が増している現在において、被害を被った人々が団結して、最低限の権利を取り戻すことは、非常に重要な意味を持っているのではないでしょうか。

社会的連帯経済と公共財に関する国際会議

  本日を最終日として、一昨日11月21日水曜日からポルトガルのリスボン大学で、社会的連帯経済と公共財に関する国際会議(会議ウェブサイト: 英語http://www.socioeco.org/actu477.html)が開かれました。

 

以下が今回の会議の開催目的です。

現在の世界的、社会的および環境的危機に対応して、様々な社会運動が、内在的な実践、制度および資源を動員し、草の根のイニシアチブの中でネットワークを構築することによって、社会経済的現状への代替策を開発している。これらの動きの中で、社会経済と公共財が注目される。この国際的および学際的な会議は、アクション・リサーチ戦略に基づいて、社会的連帯経済運動とそれに関する公共政策によって促進される(さらに、何人かの著者によって非難される)国家、市場、第3セクターの共有ガバナンスの形態に関する最近の研究から生じた課題に対応することを目指している。

トータルビジョンの出現を防ぎ、多元性を確保し、民主的な深化を促進する一方で、強いコミュニティ感覚をどのように促進するか。
参加国が経済的、政治的主体として自立的に構築できる国家、市場、そして第3セクターの間で共有ガバナンス戦略をどう推進するのか。
公平、包括的かつ参加型のガバナンスに基づき、草の根的な社会経済的ダイナミクスに統合された憲法および/または公共財(統合協同組合、エコ・ビレッジ、利用者および/または生産者の団体など)の管理に基づいて、どのように組織を促進するのか。

このイベントの目的は、国際的なレベルでこのトピックに関する部門間の対話を促進することである。

 

以上が、開催要旨です。

 

私自身は、最終日の午前中の部に出席しました。主題は、「もう1つの世界は可能である。そして、見える化しなければならない: 都市と農村の公共財の役割と再生コミュニティ」でした。
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 主なパネリストは、4人おり、会議で発表されたことをまとめると、次のようになります。


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 第一発表者ANIMAR代表のフェルナンド・ロドリゲスは、彼の団体が推進するエコ・ミュージアムについて発表しました。そのプロジェクトは、資本主義では無視されている地元の経験を再評価し、新しい経済制度を創造することによって、文化的遺産を強化することを目的としています。

 次にコインブラ大学リタ・セラ女史は、コミュニティの再生を主張しました。そのためには、民営化された公共の土地を地元民が取り戻し、地域で、統治を行うことで、彼らが運動に参加しているという自覚を持つことが大切であると述べました。

 さらに、エスペランサプロジェクトのロウルデス・ディル女史は、主に資本主義の台頭により被害を受けた人々によってネットワークを作り、情報交換をすることで、公共財としての文化的遺産を取り戻す方法を紹介しました。

 最後にタメラ(Tamera)のラウレ・ルシアニ女史は、信頼を基に人と人が繋がり、新しいシステムを作り上げることができると、信頼の重要性について説いていました。

 2時間ほどで、このセッションは終わりましたが、公共財に的を絞ることで、何が問題であるかを明確化することができ、どのように対処できるのかの可能性を提示したことは、非常に意味のあることだったと個人的には考えます。